無駄なことは、なにもない |
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むだだと思うこと、時間、そこで生まれるできごと
何もかも、つながっている
この程度のことがなんだ。と。 |
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仕事上の苦境に立たされると、常に先を見据えてその状況を緩和してきた。
5年後には遥かに厳しい状況に直面しているはずだ。
今、この程度のことで苦しんでいていいはずがない。
この程度のことをサラっとこなせなくて、後に何が出来るというのか。
そう考えることで、今自分に起きていることの現状を小さく捉え、気持ちに余裕をもたせる。
厳しいことは厳しいが、こういう考え方もひとつのメンタルコントロールなのだろう
みんな逃げないでくれ |
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正面に立ちたくないのはわかるが、現実逃避しないでくれ。誰かのせいにしても話は進まない。無理矢理にだって進めなければいけないこともある。毎日進まず、プレッシャーばかり積み重なる現状。俺の問題と捉えるにも限界があるし、形骸的に残るルールの上では身動きも取れない。
ポイントは見えてきている。後は進めるだけだってのに
消える光、生まれる光 |
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人間の能力とは関係のないところで大きな対比がある。
命の光が消えかけている環境と、命がこれから生まれようとしている環境
その2つの環境に同時に身を置くが、ウェイトは消え去る命に向いている。
その対面で輝く光。その狭間で発生するストレスは大きい。
光と影を同時に感じ、この差はいったいなんだろうと思う。
sa.yona.laか |
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昔、自分が感じていることを全然別のブログに書いていたことがあった。今ではそのブログサービスごとなくなってしまった。とくに周りに気を使うこともなく、素の自分そのものをさらけ出していた文章は、ふと見たときに自分に刺さる。それはそれで良かったんだが、今では跡形もない。
sa.yona.laのコンセプトはとても面白い。アカウント名での判別もできないが、HeartrailsアカウントやオープンIDにより個人特定は基本できるようになっている。IPアドレスという曖昧な情報ではなく、明確に情報の管理は管理者側でされている。もちろん、フリーのメールアドレス等で登録をすることで、それをぼやかせることは出来るが、これによってエントリーが荒れないことを祈りたい。
また、エントリー読む人はそれが誰が書いたものなのかはわからないが、継続して書かれたエントリーによって、ちょっとずつ個性がでてくるのだろう。facebookやgoogle+で匿名アカウントの是非の議論が盛んに行われているけど。それぞれのサービスのポリシーが実名なのだから、好きにさせたらいい。だから逆に、こういった匿名の場が生きてくることもあるのかもしれない。
個人の想いを素でさらけ出した文章には力がある。そういった文章は実はだれにでも書けるが、他人の目を気にした中では書けないことがとても多い。それによって、とても多くの人の言葉や想いが消え去ってしまうのはもったいないのではないか。
モラルと本音のバランスを旨く保ちながら、sa.yona.laが成功することを期待したい