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Re: 胎界主背景試作
■ アカーシャ球体とは |
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Reply 胎界主 |
森羅万象あらゆる力の源であり最小単位のようなもの。
普通の人間には見えないが悪魔は見ることができる。しかし悪魔も全てのアカーシャ球体が見えているわけではない。
■ 球体使い
生成世界の生きものに備わっている精神障壁を自在に操れるようになった人間たちのこと。いわゆる超能力者。
基本は防御障壁に使用されているアカーシャ球体で物理攻撃を行う。
人によってアカーシャ球体を使って物質を移動させたり(球体間移動)、火をおこしたり、球体に人を閉じ込めたりできる。
一般人には見えない。躰化者と違って暴走・戒律はないが、球体を操るのは精神力・気力を消耗する。
アカーシャ球体かぁ~
胎界主は 基本的には特異能力者達のお話。
顔が似ているうえに似た様な服装でうろつくのはやめて欲しいです。 |
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友人(女)と話していたけど、それが実は妹さんだったとか。
‘日本のソーシャルの概念は遅れている? 間違っている?’ |
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ソーシャル考察 |
記事の論点は、パブリックとクローズド(プライベート)。
前と同じで 内と外の感覚のあたり。
どの記事を読んでも パブリックとクローズドを別々に分けるだけの論調で クローズドなところからパブリックなところへアプローチする といった観点がない。(逆のパブリックからクローズドへの方向も)
たとえば、残業で夜8時半ぐらいになり そろそろ会社から帰ろうかというおじさんを設定してみる。
もし仮に このシチュエーションのところにシチューを持ってきたとしたなら、そのシチューが出現すべきところは我が家だ。 会社近くの洋食屋さん(外) じゃない。 おじさんは外にいて内(我が家) に向かおうとしているのだから、シチューは内のエリアのどこかに出現すればいい。 この設定において おじさんは寄り道せずまっすぐ家に帰ろうとする(動機付けが強くなった)。
(この場合は外から内への方向)
当たり前の行動様式なんだけど、こんなところにも内と外の感覚が働いている。
もしここで、おじさんがモバイルを取り出しfacebook を通してPCの前の奥さんに連絡をとったなら、facebook は通信の方向と時刻を考慮して両方にシチューの広告を出す。 もうこれは広告ではなく、facebook からお二人へのプライベートな提案といったもの。 (モバイルからPC、男性から女性の通信だから "外から内へ" の見当はつく。facebookのプロフィールが詳しければもっと適切になる)
*-- この例はfacebook のクローズドな中でのもの。 内と外の感覚についてわかりやすくするため。
こういった内と外との行き来や、内と外とを利用したカラクリ付けがウェブ上でもシュミレートされていく。
‘イラストの向こうに見えるソーシャル 1、2’ |
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ソーシャル考察 |
似顔絵を描きながらソーシャル活動している女性がいるという。 南暁子さん。 そして描いてもらった人たちは描かれつながりでミーティングもするらしい。
しかし気を使うだろうな。 ある意味、幹事だし(南さんが)。 佐々木氏も参加しているとのこと。
広場でイーゼルを立てて似顔絵を描いてる人がソーシャル内で似顔絵を描いていくと 似顔絵に付加価値が付いてくる。
まぁそうゆうことなのかも.. (これはたとえです)
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それにしても みんなソーシャルやってるなぁー。
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pixiv は お絵描きでソーシャルってことなんだけど、各人それぞれが自分の描きたいものを気ままに描いているだけじゃ
つながらない。 どっちかがどっちかに歩み寄って絵的世界を共有&拡張するということをしないと。 しかしそれが難しい。
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胎界主の画調に合わせる加工もソーシャル活動を念頭においてのこと。 俺もなんとか今持ってる芸で ソーシャルの触手を伸ばして行かねば...
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これから先、ソーシャルっぽいことを何もしなかったら してきた人と大きな差がついてしまいそうで怖い。 ちょっとこれはいけません。 お金じゃないところが むしろやっかいだ。
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sa.yona.la とてソーシャル。 お気に入り機能(友達登録) もある。 ここに顔を出していればソーシャルっぽいところで活動しているとは言える。 形容するなら 涼しいソーシャル環境といったところ。
Re: 佐々木氏があの記事に言及
‘佐々木俊尚さんとの見解の違いについて【湯川】’ |
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Reply 自己レス ソーシャル考察 |
湯川氏が佐々木氏のツイートに対してリプライした模様。 フムフムと読んじゃいましたよ。(蛇足の追記の方も)
まず、自分が読み取ったものと湯川氏の意図とがほぼ同じであって ほっとした。 これ、違うふうに読んでいて湯川氏の言ってることにピンとこなかったら 自信を失うところだった。 あーーよかった。
ここは湯川氏の勝ちでしょ。 これから 佐々木氏より湯川氏について行こうかな。(そうしよう)
ほんと、あの学生(水谷君) の記事は "100%間違ってる" で片付けられる記事でもないし、残念な記事でもない。
湯川氏は追記の中で、
>> 同じソーシャルメディアと呼ばれるものの中にも、実は違いがあり、この違いが実はすごく意味を持つようになる、というのが水谷さんの言いたいことなのだと思います。では「どう意味があるのか」という問いに対する答えは、水谷さんの文章には書かれていません。彼は恐らく感覚的にその違いが今後非常に大きな意味を持つことに気づいているだけで、それをうまく表現できないのでしょう。 <<
と書いている。 これは、水谷君の、
" そういったやりとりが誰からも見ることが可能なオープンな世界が、インターネットです "
や、
" そしてこれらのやり取りはお互いの共通の友人・知人からしか見ることはできず、閉ざされた世界がソーシャルネットです "
をフォローしてのことだろう。
言ってみれば、内 と 外 の感覚の問題。
そして湯川氏、
>> 特に日本の現状を見る限りにおいては、ソーシャルメディアを2つに分類する意味をまったく見いだせません。<<
いやこれは、水谷君の内と外の感覚が 今は対象をこう捉えているだけであって、ここはサラッと流してもいいのではないかい。(後々変わりもするだろうし) そんなことよりポイントになるのは 先に言った 内と外の感覚の問題。
"この違いが実はすごく意味を持つようになる、というのが水谷さんの言いたいことなのだと思います。では「どう意味があるのか」という問いに対する答えは、水谷さんの文章には書かれていません。彼は恐らく感覚的にその違いが今後非常に大きな意味を持つことに気づいている...."
ここ。
"では「どう意味があるのか」" ってありまんがなぁ。
内の意識と外の意識の このこすれあってせめぎ合うような薄皮というか空気の壁というか、この隔たった感覚エリアの境目のそここそがアイデアを生み出すエネルギーの源(みなもと) でしょっ !!!
内の感覚に留(とど) まっている意識が 外の意識のエリアにアプローチしようとしたとき、知恵は絞られアイデアが生まれる。 アイデアや発想は、腕を組んで天井を見上げ "何かいいアイデアはないかなー" なんて言ってたって出てこない。 内に留まっているところから片足一歩でも踏み出して、何か(外の) にアプローチしようとしたとき始めて生まれる。
一目ぼれした女の子に声をかけることだってそう、アプローチしようとして始めて じゃぁどうゆうふうに声を掛ければいい? と知恵を絞るようになる。 これすなわち、内と外の感覚あっての薄皮を突破しようとする行動力。(背中を押す力の意も含めて)
「うちうち言うやつに発想なし」。 よく会社で "うちの会社は" とやたら うちうち 言う人がいるけど、内という意識で自分を固めてちゃ新しい発想も持ちえない。 何かを辿(たど) って外にアプローチしようしたとき始めて頭が働き出し発想も湧いてくる。
水谷君や湯川氏が焦点を当てようとしていたところは、すごいポイントだわ。 ここは大きいと思う。(人を動機付ける仕掛けを考える上でも、またゲーム内のシチュエーションの設定を考える上でも。 どうなれば面白いのか のヒントがある)
Re: ‘蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】’
佐々木氏があの記事に言及 |
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Reply 自己レス ソーシャル考察 |
おっ、 TechWave 白熱教室かぁ~。 "100%間違っている" キタァー。 (あの記事)
あの記事のニュアンスは そんなに間違いでもないと思うけどね。 そのあたりはもうモニターの前に座る人の意識の問題だから。(そう感じる人はそうなんでしょうという感じ) 40人の人とつながっているページを閉(と) じていると感じる人もいれば、十分開(ひら) けていると感じる人もいる。 一旦開けていると感じたなら あとは30人も100人も500人も(増えても減っても) 同じだろうという感覚になって、結局こんなもの仮の設定でしかないと思うようになる。 人がどんな 内、外、の感覚をもっているかは ほんと人それぞれ。
-- 話は変わって --
ソーシャルというのは、難しいとも感じるウェブをフレンドリーに見せて とっつきやすくするための ただのUIであるかもしれない。 と、俺は心のどこかで疑いも持っている。 今は "ソーシャル" という言葉が踊っているけれど、本当の実体は もうあまり言葉として聞かない マッシュアップ だとか コラボ 、共同編集、このへんにあるのではないかとも思っている。
本当に ソーシャルファースト か? という疑いは 少なからずある。
‘蔓延する誤った「ソーシャルメディア」の定義【水谷翔】’ |
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ソーシャル考察 |
読んだ。 まぁ基本的なところの整理といった感じ。
ただ ここんとこ、
>> インターネットでは、新たな情報に価値があります。
ソーシャルネットでは、友人・知人の動向(近況、レコメンデ―ション)に価値があります。 <<
情報が個人付随のものだけだとしたら、人の数+α、で人数分しかない。 人と人の間のつながり部分に着目すれば情報は無限に増える(掛け合わせだから) 。
ウェブは関連付けを編集していく巨大な装置でもあるから、目を向けるべきは人そのものじゃなく、人と人とのその間の部分。 人を大切にしようという気持ちがあるから人に目が行くのだろうけど、システム(機械) としてはつながり付けのために使う方がより機能する。 個人付随の情報量なんて たいしたことはない。
このあたりは マーク・ザッカーバーグ も言ってた。 というか昔から言われている。
ECのマーケティング的な目で見れば お金を出すのは個人だから 個人を囲い込もうとして一人単位で考えるけど、
ソーシャルな考え方で人を見るなら 最小単位は2人ってことになる。(つながりだから)
マーケティングの目とソーシャルの目の違いってこのあたりなのかも。
無意味なもの |
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雑感 |
最初 意味や意図を感じていたものでも時間が経つと飽きて 無意味なものに思えてきたりする。 それでも そうゆう無意味なものの総体が 今 何に意味(意図) を感じるかの志向性を後支(あとざさ) えしている。 (無意味なものがあるから意味への志向性が意義づく)
もう捨ててしまおうか というファイルでも取っておいた方がいい。 ただし分類する必要はあるけど。
そうして分類した後は、その総体(無意味なものの集合) に意図的に関わってみるのがいい。
● 無意味な図形 (しかし元は何かの意図をもって書かれたコード)
そして、変化のプロセスは消えたように思えても 透明体となってどこかに残っている。 それが型、スタイルではないか。
facebook ノート |
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メモ |
facebook ノート内の検索は facebook内ではできないみたい。
一旦 rssフィードをグーグルリーダーに読み込ませて グーグルリーダー内で検索する必要がある。
これだったらsa.yona.la の方がずっとキビキビ検索できる。(googleブログ検索で)
‘『なぜいまダダ漏れからキュレーションに?』を本気でまとめたらこうなった 時代は早くもアンチキュレーション?’ |
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雑感 |
キュレーションという言葉一つで面白く盛り上がっている。
キュレーションという言葉自体 "一旦 X(エックス)と置く" のX みたいなものなんで そのうち言葉自体は消滅する(と思う)。
もちろん実態は継続していくことになるけど。 キュレーションを日本語にしてみるなら、"愛と知性のある代理営業" って感じになるのかな。
その継続していく実態とは 個々人のお勧め表現のスタイルだろう。 (芸と言ってもいいかも。ある人はテキストだったり、ある人はイラストをつけたり、またある人は動画でやったりといろいろなスタイル)
ただ、キュレーションにおいては自分の考えや意見をコッテリつけられない(閾値があると思う)。 これから動画を見ようかという人に自分の感想や意見をベラベラと先に言ったりするとうるさがられるだけ。 その表現とは自分を出さない表現だ。 これをできるかどうか。 あっさりとしながらもセンスがあって気の利いた表現は結構難しい。 自分が気に入ったものは勢い込んで人に薦めたりするから。 うまい人は相手に発見させるような持って行き方をしたりする。
キーワードの消滅と言えば、"Web2.0" とか "マッシュアップ" も。 今この言葉を軸に語る人はいなくなった。
それでもちゃんと実態は継続している。 facebookの検索後ページには MSのbing が出てきたり、ウィキペディアの記述が出てくる。 (*消滅 = 役目を終えた)